本田計一先生のアサギマダラ教室

7.アサギマダラの移動の目的

7.アサギマダラの移動の目的

この項目はこれまでの議論とはややずれていますが、多くの方々が関心を持っておられる事項かと思いますので、事のついでに このメールをお借りして私の考えを述べさせて戴きたいと思います。
尚、この内容はこれまで断片的に、アサギマダラシンポジウムやLSJ東海支部例会、その他の学会講演などで既に紹介させて 戴いたものであることをお断りしておきます。

a.目的1: 至適体温の維持

アサギ成虫が高温に弱いことは多くの方々が実感されていることですが、低温にも余り適応できていません。野外ケージ内での 観察記録ですが、日中の6時間(10〜16時)程度でも概ね30度Cを超えるような環境で飼育すると、ほぼ終日日陰に居ても (吸蜜以外の殆どの時間は休息)次第に行動が不活性になると共に正常な飛翔が困難になり、個体差はあるものの雌雄ともに 4,5日程度で死亡します。このように高温ストレスは本種にとって致命的です。因みに、同じ環境下でも八重山諸島に生息する 他のマダラ類、アゲハ類や広島のアゲハ類などは全く影響を受けません(日中は日陰で休んでいますが)。

一方、低温ストレスは短期間では致命的な影響は及ぼさないようですが、飛翔が困難になるような温度下では吸蜜などの通常の 行動ができませんので、結局は死ぬことになります。気温が概ね18度C以上あれば問題ないようですが、15度C以下では雌雄共に 生存は難しいようです。15度Cでも(或いはそれより若干低くても)翅を掴んで空中で放せば、ほぼ正常に飛ぶことは可能ですが、 すぐに着地して自らの意志で飛び続けることはしないようです。ただこれは太陽光が弱い曇天、夕刻の話で、輻射熱を受け得る状況下 では15度Cでも活動する個体はいますから、この点については、気温ではなく、金田さんの言われる「体温」が重要だ、 ということになろうかと思います。太陽光を直接受ける場合と日陰では、全く状況が 異なっています。 因みにツマムラサキマダラやリュウキュウアサギは気温15度Cで薄曇りでも、かろうじて自由意志で飛翔し、吸蜜もします。 従って、アサギは八重山の一部のマダラ達よりも、「至適温度範囲が狭い(高温、低温側の両方)」ということになります。 尚、卵の孵化、夏季の幼虫の成育、冬季の越冬に関しても、アサギには温度の制約や順化の問題があって、なかなか子育ても厄介です (経験の有る方も少なくないと想像します)。

これが季節移動する、最も重要な理由の一つと思っています。

<<ご参考>> 米国のオオカバマダラも長距離移動しますが、秋季はさて置き、初夏の北上移動は高温回避のためとは考えられません。 なぜなら、アサギと全く違って本種は、太陽の輻射熱を受けると40度Cをも超えると思われるような灼熱の炎天下を平気で 高速に飛び回って(時々は日陰で休止)、雌は産卵、雄は探雌活動・求愛を行います。さすがに40度に耐えられるとは思えませんが、 内陸部では日中も気温そのものはさほど高くないので、輻射熱をうまく回避しながら飛んでいるものと推察されます。夜間の比較的低い 気温も植物と同様、高温ストレスの解消に役立っているかも知れません。 オオカバは好んでPAを摂取することは無いようで(次項b参照)、結局、移動(分散)は本種の繁殖戦略と思われ(次次項c参照)、 移動と世代交代を支える食草(トウワタ関連植物)が多種類且つ広範囲に分布していることにより、長距離の移動が可能になっていると 思われます。

【2014.4.1 金田 忍】オオカバマダラの体温に関する文献があるのでないかと探しています.窪田宣和さんが教えてくれたベルンド・ハインリッチの三冊 (ヤナギランの花咲く野辺で・熱血昆虫記・マルハナバチの経済学)の中にはチョウの体温に関する記載は見つかりませんででしたが, 彼はタバコスズメガの体温調節機構の研究で学位を取得したことを知りました.アメリカでは1960年代にはこの分野の研究が相当進んで いたらしく,関心も高かったようです.ヤナギラン・・・の「学位採取」(79〜100p)にその次第は詳細に記載があるのですが,スズメガ の飛翔時の体温は40℃近くから最高43℃(15〜34℃の室温下)まで計測されたというものです.そこで彼は「熱損失率の調節が行われて いるのではないか」と考え,タバコスズメガの体温調節機構を発見するに至ったわけです.
この考えかたをオオカバに適用すると,太陽輻射熱および飛翔による筋肉代謝熱を血流を早めることによって胸部から腹部に逃がし, 鱗粉の薄い裸同然の腹部を高速の風に当てることにより,熱放散を行っているのではないかと考えた次第です.
ネットの画像検索で見たところ,オオカバはアサギそっくりの胸部をしていますね.腹部が写っているものはありませんでしたが, 腹部もアサギに似て鱗粉が薄く,例えばウスバシロチョウのように毛むくじゃら(断熱構造)ではなさそうです.

b.目的2: PAの獲得(摂取)

アサギの雄が、モンパノキ、スナビキソウ、ヒヨドリバナ類などから特定のPAを摂取して、これを原料に性フェロモンを造っている ことはご存知の方も多いと思います。性フェロモンは雌の了解を得るために必要な物質ですが、アサギの場合、これを保持しているだけ では殆ど交尾できないことが分かってきました(口頭で既発表)。結論を言いますと、PAそのものを体内に蓄積していることが必須で、 これの生理作用により配偶活動が活性化し、交尾可能となります。
従って雄は、フェロモン生産や代謝などで失われるPAを常にある程度摂取し続ける必要があるものと推定されます。夏季の重要な PA源はヨツバヒヨドリで、これは南から咲き始めますが(尤も、最初はスナビキソウ)、花期が終わると途端に誘引性が無くなります から、いきおい、彼らは開花前線を追って北上する(せねばならない)ことになろうかと考えられます。これは寿命が長いことにも関係 していますね。

世代交代した秋の南下個体についても事情は同様で、雄にとってPAの確保は避けられませんが、後に述べるように、南方ほど開花の 遅いヒヨドリバナ類(人為植栽のフジバカマも含む)が都合良く存在していて、南下を支えています。 余談ですが、秋季フジバカマなどで、非常に敏感・敏捷な雄をしばしば見かけますが、秋季には大量のフェロモンを保持している個体が 目立つ(即ち、PAも沢山飲んでいる)ことから、これはPAの神経生理作用に因るハイテンションの表れではないかと思っています (現在、福村さんから9月に提供戴いた母チョウの次世代を使って実験中)。

アサギにとっては繁殖上、このPA獲得も不可避の移動理由と考えられます。

【2014.4.1 金田 忍】PAの誘引力はすごいと思います.昨年びわ湖バレイで標識された2047頭中549頭はヨツバヒヨドリの開花前 (7月初旬まで)に ヨツバヒヨドリに飛来したものでした.特に鹿や人に踏まれて枯れたものや,根元から食いちぎられて液汁を出しているヨツバには 多数のアサギが群れることがあります.私は十数頭の群れに出会い,あわててカメラを取り出して6頭の写真を撮ったことが あります.確かにハイテンションでした.スナビキソウの場合も同様で,開花していても花以外の場所に口吻を伸ばしているものの 方が多いように思います.おかしなことに時々♀も混じります.寄っている♂のフラッシュに誘引されたのかなと考えておりました.

c.目的3: 近交弱勢の回避

これは全くの根拠が無いに等しい仮説、であることを予めお断りしておきます。 そのような事を言っても詮無いことですが、他のチョウとの関連や類推から考えた事ですので、その辺の関連する根拠のみを 挙げておきます。

@ リュウアサでは4,5世代累代飼育を続けると(一世代50〜80頭程度のサイズ)、受精率と孵化率が極端に低下し、 羽化成虫の中の雄の割合も20%程度になって、世代の継続が難しくなります(但し、この傾向はPA摂取によってかなり改善 されることも分かっています)。

A 移動性の高いオオカバマダラでは、過去に米国で飼育した経験では、やはり近交弱勢の影響か、3世代目には病気が発生しやすく、 うまく累代飼育できませんでした(数回トライ)。

B 分散性の強いミヤマカラスアゲハやトラフアゲハ(米国)も3代を超えての累代飼育は難しく、受精率の低下や幼虫の死亡率 が高くなる。

他方、最近、国内でカバマダラの部分発生が各所で知られていますが、このように高い分散性を持つと推定されるにも拘わらず、 本種は累代飼育にも強いようです。 従って、分散性と近交による弱勢とは必ずしも一致しないと考えられますが、近交弱勢回避もアサギの移動の目的の一つである 可能性は否定できないと考えられ、念のために挙げてみました。今後の研究が期待されるところです。

<<付記>> アサギの累代飼育は不可能ではありませんが、上記のようにPAを摂取しないと交尾しないことと、@のリュウアサの例に書いたように 「PAによる回復」も有りますので、近交弱勢が起きるかどうかの検証ができません。何かよい知恵が有りましたら、ご教示下さい。

結局、日本においては、春〜夏に向けて東北に移動することにより、体温上昇を回避できるのに加えて、好都合にも主要なPA源である ヨツバヒヨドリの開花前線を追えることになり、さらに冷涼地には豊富なイケマなどがあることによって彼らの繁殖が支えられている、 という実に幸運な環境条件が整っていること。また、秋には、西南に移動することにより過度な体温低下を防ぎ、ヒヨドリバナ、 サワヒヨドリ、正体不詳のヒヨドリバナ(室戸岬)、ヤマヒヨドリなど開花時期の異なるヒヨドリバナ類が連続的に自生していてPAの 獲得が容易であり(興味深いことに、南方へ行くほどヒヨドリバナ類の開花時期が遅いようで、これらを同じ場所で栽培すると、室戸、 足摺のヒヨドリバナとヤマヒヨドリが最も遅い部類に属し、加 温すれば12月半ばまで開花を続ける)、さらに移動の途中にも幼虫越冬を可能にする常緑のキジョランが少なくないこと。 これらの偶然(奇跡的?)とも思える日本の好条件が、アサギの安定した北上と南下移動、ひいては繁殖を可能にしていると 推察されます。

尚、福村さんが明らかにされた九重山系での夏季の長期に亘る標識記録は大変興味深く、意義深い発見で、ここでは不詳ヒヨドリバナ (室戸類似??)の夏季の長期開花(分散しているとのこと)と低温が、一時的にせよアサギの定住?を可能にしている例と推察されます。 近交弱勢の疑問はやや生じるものの、上記のa,bとは矛盾しないと思われます。