「人生100年」と言われる昨今ですが、古い印度の思想では人生を四期に分けて、後半の50歳から75歳までを林住期とし、その後は遊行期と呼んで身辺や心の整理をして、
来るべき死に備える修行の年代だと聞きました。私は75歳、節目の年です。70歳から身辺の整理を始めた私は物心ともに身軽になりました。しかし身体は一日一日老化して
ゆきます。悲観しているわけではありませんが、当然のことと受け入れられるように修行するのが遊行期なのだそうです。
私は今でも一年中森で遊んでいます。幼少の頃はオヤツさえ森に求めました。少年の頃は山岳クラブや生物クラブに席を置いて山野を駆け巡りました。青年の頃はスキーに
のめり込みました。そうして迎えた壮年期以降は忙しくてほとんど有給休暇は取れませんでしたが、多くの休日を森で過ごすようになりました。特に有名な山でなくても良
かったのです。槍も穂高も富士山も登ったことはありません。生き物が棲む自然に魅かれて森に通ったのです。
春は山菜採りから始まります。三月頃になるとスキーに出かけてもフキのとうが出ていないかと気になり始めます。ワラビは毎年30キロは採ります。コゴミ10キロ、ウド10キロ
などですが、キロ単位で採るものにはサンショウ、コシアブラ、ワサビなどがあります。、
夏から秋にかけてはアサギマダラのマーキング調査に参加します。夏休みの間は少年たちが捕虫網を持ってびわ湖バレイの高原にやって来るので、私は自然観察指導員として
野外教育のお手伝いをします。アサギマダラが終わらないうちにキノコ採りのシーズンが始まります。60代まではマイタケを毎年30キロぐらいは採りましたが、70代に入ると
若い人たちに先を越されて採れなくなりました。この秋の成果ではマイタケ6キロ、ナメコ50キロ、ヒラタケ10キロ、その他ムキタケ、シイタケなどですが、キノコは東北出身
の人が特に喜びます。親も東北出身なので私にもキノコ民族の血が流れているようです。
そして冬、今シーズンは35日目標で頑張ります。これまでに30日を越えたのは一年だけでした。前立腺ガンが見つかったその年、もう長くはないと思ったのか、友人からの
スキー行の誘い総てに家族は『行って来たら・・・』と快託してくれました。しかし、年金収入が総ての私は贅沢は許されません。板と靴は7年目ですが手入れして大事に
使い続けます。スキーパンツは10余年使ってほころびてきたのでようやく買い替えました。フィールドはびわ湖バレイです。ウィークデイ・年券で25,000円ですから、25回
行けば1回あたり1,000円になります。12月中に4回行きましたがリフトは待ち時間なしの乗り放題で、毎回標高差10,000m、走行距離30kmあまりのハードなトレーニングをし
て道具の点検、足慣らし、呼吸ならしをしてシーズンを迎えます。
というわけで、まさに『林住期』の生涯を送ってきましたが、これからの『遊行期』の修行は何を目指したら良いのでしょう。理想は仙人です。せめて心は森に棲み、霞を
食って生き、森の精と遊び戯れて暮らし、そして金も力も使わないスキーを続けるのが私の夢です。(2009.12.31)
***はじめまして、アナグマさん。(2010.11.21)***
初めてアナグマを観た。それも数分間もの長時間、20mの近距離でゆっくりと観察出来たのであるが、ついに目を合わせることは出来なかった。
というわけで出会ったと書けないのが残念なのだ。
事の次第をもう少し詳しく書こう。その時私と弟はブナの森の尾根を歩いていた。風もなく小春日和の快晴のお天気に恵まれ、紅葉はすっかり落ちつくして
「かさかさ」と音を立てながら歩いていたのであるが、ゆるい傾斜の右下のミズナラの樹洞に白っぽいものを見つけた。双眼鏡で調べてみるとアナグマだった。
早速ポケットのカメラを取り出して2枚シャッターを切った。今度はこちらを向いてもらってから写そうと思い、木の枝にカメラを乗せてシャッター半押しの状態で、
「おはよう!」と声をかけたが全く反応がない。もう一度「おはよう!、ちょっとこっち向いてくれる!」と頼んでみたが、相変わらず日向ぼっこの姿勢を崩さない。
アナグマにはずっと前から私たちが近づくのは分かっていた筈なのだが、なぜか無関心を装い、平然と日向ぼっこを続けているのだった。
私の倍ほど山を歩いている弟も、野生動物にこんな風に無視されたのは初めてだと言っていたが、私はなにか誇らしいような気分になるのだった。
皮膚の癌で足の裏を小指ほど切り取った私は、すっかりビッコの歩き癖がついてしまい、その矯正とリハビリのために傷跡が痛むのを我慢しながら沢や森を歩きまわっている。
この季節にこれだけ歩いたら、ご褒美にナメコが頂けるかと期待をしていたのだが、ほとんど見られなかった。
その代わり、ビッコを曳きながら峠を下る頃、正面の空に幻想的な雲が現れた。どうしてあんな雲が作れるのだろう。今日もまた良い一日であった。
***皮膚の癌騒動記(2010.10.6)・・・老化とは***
皮膚に出来る悪性黒色腫はもっとも嫌われ、恐れられている悪性度の高い癌である。発生後の増殖は爆発的で、気がつき診断されたときにはリンパ節まで転移していて手遅れ
というケースが多いらしい。
毎年誕生日を目処に受診している人間ドックの前日に、足の裏にその予兆と思われる痣と赤班を見つけ、紹介状をもらって京大病院で検査を受け、痣は癌、赤班は前がん状態
であるとの診断が下された。
今後の見通しについて訊ねたところ、こんな早期に発見された例は無く、間もなく癌化するかも知れないし、10年経っても前癌の状態のままかも知れないとのことであった。
予後の予想がつかないのである。
足の裏を癌化した部分を含めて小指ぐらい切り取ったので、抜糸まで2週間の期間があり、その間に今後の対応を決めることにした。その詳細は別紙にして
PDFで保存してある。関心のある方はクリックすれば見られる。
私は51歳で銀行から保険を担当する子会社に派遣され、預金セットのがん保険を10年あまり扱った経験がある。癌という病気について勉強する機会が多かった
のであるが、統計で見ると癌の発生は10歳ごとに倍々と増えており、70歳代は20歳代の30倍も癌による死亡率が高いのである。癌の発生は細胞の老化と密接な
関係があるように思う。
今回も前立腺がんの時と同じように危機をするりとすり抜けたように思っているが、癌化しないことを祈るしかない。
***手足の痺れと痛み (2010/08/21)***
最近手足の痺れが一層ひどくなり、痛みを帯びてきた。手指は強ばり、細かく震えて小さな字が書けなくなってしまったのである。
先日、整形外科医院で調べてもらったら、第5.6頸椎に変形が見られ、脊柱菅 (中に脊髄が通っている) を圧迫しているのが原因になっているのだろうとのことである。
間もなく遊行期に入る私としては、根本治療を望んでいるわけではなく、せめて痛みがとれて字が書けたらいいから、どんな姿勢が良いのか、またはどんな姿勢が良くない
のかなどの生活指導をしていただきたいとお願いしたのであるが、全くアドバイスはもらえなかった。
脊椎外来の日に再び受診し、専門医にMRIを観てもらったところ、頸椎の変形はそれほどひどくは無いとのことなので、自分で勉強して頸椎に負担をかけない生活の姿勢や、
運動などを試してみることにした。
初診から一ヶ月経ったが、今は痛みも取れたし、震えも止まり字が書けるようになった。手首から先の突っ張りも改善されてこの程度の痺れなら我慢できる範囲なので、
整形外科医院への通院はお終いにしようと思っている。整形外科医が日常生活での姿勢についてのアドバイス( = 整形) も出来ないようでは情けないではないか。
図書館には適当な本が無いことが分かり、本を購入したりインターネットで調べてみたが、医学の中でも神経の世界はなかなか複雑で奥行きが深いものらしく、解かって
いるのは15%程度で、85%は解かっていないのだという。西洋医学・東洋医学・漢方・鍼灸・整骨・カイロプラクティックなどなど、健康保険が適用されるもの、されない
ものが混在するが、それぞれに魅力のある理論を持っており、自分の身体のことを勉強するには大変参考になった。その中からヒントをもらい、生活の中に取り込むことに
したのである。
具体的には頸椎に負担がかからない姿勢と、頸まわりの筋肉の強化、リストバンドの使用を試みたのであるが、期待以上の成果が得られた。
頸椎に負担がかからない姿勢とは、頸椎の後部が変形しているので、出来るだけ後屈の姿勢をとらないようにすることである。頬杖をついてテレビを見るのは良くないとか、
上ばかり見ているバードウォッチング、天体観測なども良くないわけで、常時頭部をヘッドレストにつけて運転するなど気をつけることは多々ある。
リストバンドの使用は、疲労による前腕部の手首関節の靭帯の緩みを補強すると有効であるという整骨師のアドバイスによるものである。昔、歩兵がゲートルを巻いていたの
と同じ理屈ですよと言われて試してみたのであるが、心配していた血流を妨げることも無く、安心して一日中草刈などの手作業が出来るようになった。
最後に筋肉の強化と書いたが、私の場合は身も心も晴れる山歩きである。身体全体を動かして生活をすることにより、バランスの取れた老化が得られると思っている。
老化しないようになどとは思っていないのである。
上山高原には東の空が明るくなりはじめる5時前に着きました。毎年草刈をして草原が維持されているあちらこちらの谷間にヨツバヒヨドリの群落が見られました。
標高は900m前後で、この辺りでアサギマダラが見られるのは9月に入ってからになります。
車が県境に近づいた頃朝日が昇りました。5時22分の写真です。何度見ても
山の夜明けは荘厳です。途中の路傍のヨツバヒヨドリには既にアサギマダラの姿がありました。アサギマダラは思っていたよりも朝早くから活動しているようです。
私はびわ湖バレイをフィールドにして、長距離移動をするアサギマダラの生態を調べておりますが、今年のびわ湖バレイでの標識数が800頭を越えたので、夏の間の移動範囲
と思われる扇ノ山の調査にやって来たのです。
去年の扇ノ山での調査状況は ここにも書きましたが、扇ノ山で私が標識した454頭のうち、2.6%にあたる12頭が
再捕獲され、びわ湖以西の丹波山地から中国山地へかけてのアサギマダラの生活の一端が明らかになりました。
びわ湖バレイで標識されたアサギマダラは、丹波山地の長老ケ岳で大量に再捕獲された年が数年ありました。また、中国山地の氷ノ山でも再捕獲記録が多数あります。紀伊半島
の山地でも夏の間に再捕獲された年もありました。三重や大阪、下関、北九州などの平地や島々では秋の南下の時期に再捕獲例がありますが、夏の間は結構気ままに1000m以上の
高地を方向に関わりなく彷徨って生きているらしいということが分かってきました。
びわ湖以西のアサギマダラの生活圏は恐らく丹波山地から中国山地一円に及び、観察できるポイントは1000m以上の山地であること、ヨツバヒヨドリ等の誘引植物の群落が大きな
規模であることが条件になります。丹波山地および氷ノ山では鹿の被食によりヨツバヒヨドリ群落が消滅しました。氷ノ山の12km北の扇ノ山に鹿が少ないのは不思議だと地元の
人は言ってますが、多分積雪量が多くて冬が越せないのではないかと私は考えています。びわ湖バレイではネットを張って群落を保護していますが、自然状態では壊滅状態です。
中国山地では1000mを越える山地のスキー場は数箇所ありますが、中でも大山のスキー場に注目しております。先日、国有林などを管理する窓口になっている大山情報館
(0859-52-2165)を通じてスキー場管理者に問い合わせたところ、大山国際スキー場は草刈がされていないということでした。しかも鹿が多くないということなので、今でも
ヨツバヒヨドリの群落が残り、アサギマダラの群舞が見られるのではないかと想像されますが、ちょっと遠すぎて出かける勇気がありません。地元での調査協力者は現れない
ものでしょうか。
とりあえず今年は扇ノ山で、仲間の協力を得て出来るだけ多数の標識をし、10月以降の平地(下関・九州・四国など)の再捕獲を期待したいと考えております。扇ノ山の標識
ポイントは ここ
にPDFファイルがあります。参考にして下さい。
***夜明けのコーラス探しの旅を終えて (2010/06/21 10/21改)***
野鳥の録音をやめて4年になります。耳が老化して高音部が聴き取りにくくなつたのが原因でやめたのですが、20年以上録り続けてきた録音は千葉県立中央博物館(大庭照代先生)
が引き取って下さることになりました。
録音を整理して調べてみたら、一番多く通った録音地は八丁平で53日(26%)、第2位は大江山31日(15%)、第3位は芦生の21日(10%)となっておりました。合計すると105日となり、
総日数205日の50%を越える日数になります。これらの地はいずれも京都府下にあり、夜明け前に到着するように3〜6時間前に私宅を出、録音ポイントで夜の鳥を録りながら一番鳥
が鳴くのを待ったものです。
私は、今では伝説となってしまった野鳥の夜明けのコーラスが聴きたくて、録音機を携えて春から初夏の休日の夜明けをねらって、これはと思われる地を訪ね歩いておりました。
録音を思い立った1983年は録音予定地の調査や録音機器の調達で終わり、翌年はいよいよ録音にかかりましたが、マイクを買い換えたり集音器・三脚を買い足したりしてまたまた
一年が過ぎてしまいました。その年は京都野鳥の会の例会で長野県木祖村・薮原で録ったものが唯一の賑やかな録音でしたが、当時の伊藤会長に聴いてもらったところ
「目の前の人の言葉が聞こえんのですよ・・・」という、戦前の夜明けのコーラスには程遠いものであることが分かりました。この日から夜明けのコーラス探しの旅が始まったのです。
録音地の第一の条件は野鳥が多くいることですが、2番目には雑音の少ない所ということになります。それに度々出かけられる条件として自宅から近いところが望ましいのです。
八丁平と大江山はいずれも車を降りて歩く時間を入れても3時間以内の地にあるのですが、芦生は車で2時間余り走ったあと更に林道と山路を夜中に3時間余りも歩くという遠い山中
にありました。そのいずれにも騒々しいほどの夜明けのコーラスが無いことが分かり、1990年ごろからは信州の御嶽山や霧ケ峰高原(八島湿原)・大台ケ原などにも足をのばすように
なりましたが、ついに伝説の夜明けのコーラスに出会うことはありませんでした。以下、録音地についての記憶をまとめてみました。
録音地についての記憶は PDF に纏めました。ご参照下さい。
***春が早く来てしまいました。(2010.03.06)***
2010.03.06 庭の春蘭
数日間雨の日が続いて、我が家の狭い庭にも春がやってきました。
縁石に沿って株を増やしてきた春蘭は、去年の倍の200個ほども
蕾を持ち上げて、今にも咲き出しそうです。
来週にはもう一度冬が戻ってくるとの予報ですが、土が見えてしまった関西のスキー場はもう元に戻ることはありません。
この暖冬に腹立たしいやら情けない思いを持っているのはスキーヤーの私だけではないでしょう。寒い時にはちゃんと気温が下がり、雪も降らないと生態系は狂い、農作物も
ちゃんとできないし、害虫が大発生することもあるのです。
雨降りなので久しぶりにパソコンに向かって、素晴らしかった野沢温泉スキー行を纏めて
ここに掲載しました。
気象庁のこの冬のデータを見ると、西日本では一時的に寒い日があったとは言う
ものの、一月中下旬及び二月十日前後の高温、そして下旬から三月にかけての記録的な暖冬で一気に春が進んだとのことです。
この異変でまたいくつかのスキー場が
廃業に追い込まれるかと思うと、地球温暖化を身近に感じます。
生態系への影響はなかなか目には見えませんが、私は今年もアサギマダラの旅を追う傍ら、
鹿とカシノナガキクイムシの猛威による自然の変化を、注意深く見守ってゆこうと思っています。