私は特に鳥の歌に惹かれて森を歩きます。
今では伝説となってしまった野鳥たちの「夜明けのコーラス」が聞きたくて、山奥の深い森を、
暗い夜明け前にもさまよい歩きました。
何百時間もの録音を録っているうちに、
野鳥たちの声を通じて野鳥たちの生活が感じられるようになりました。そんな録音を、皆さまにも聴いて
いただきたいのですが、私にはそんな技術も知恵もありません。でもきっとそのうちにと思っております。
私は姿を見るだけでなく、野鳥たちが森の中でどのように生活しているのか、いわゆる「動物生態学」
の分野により強い関心を持つようになりました。私が所属している
京都野鳥の会の創始者である川村多實二先生は、日本で初めて京都大学に動物生態学教室を作られたと聞いておりますし、
名著「鳥の歌の科学」により、私たちに鳥の歌を通じて鳥たちの生態を知ることを教えて下さいました。
今では野鳥の姿を見ることが少なくなった「天然記念物 比叡山鳥類蕃殖地」の歴史的背景を調べているうちに、またまた
川村多實二先生のお名前に接することになりました。次の文章は、京都野鳥の会の季刊誌「三光鳥便り100号(平成15年10月1日発行)」
に寄稿したものに、少し手を加えたものです。
「柴草山だった比叡山」という新聞記事(京都新聞2003.6.26..14版)が出て、京都野鳥の会のメーリングリストでも話題になりました。私も入会以来二十数年間「本当にそんなに沢山鳥がいたのだろうか・・・・」という疑問が頭を離れませんでした。
寄稿された小椋純一氏は京都精華大学教授で植生景観史を専門としておられ、当時の地形図や絵図、文献などを元に解析して、京都から見た比叡山の姿は柴草山だったと結論ずけておられるのです。
私は森や山にはより深い関心があり、その生態系の一部としての野鳥を知りたくて京都野鳥の会に入会した経緯もありますので、小椋先生の話もこれまでに二度ほど聴いたことがあります。社寺林や官林など伐採を制限されていた山林を除いて、特に都市に近い雑木山は燃料用の薪や柴として頻繁に切られ、落ち葉までかかれて疲弊し尽くして、部分的には雑草地であったという彼の解析は正しいと思います。
改めて地図を手元に比叡山を眺めてみると、比叡山鳥類蕃殖地は京都からはほとんど見えないことに気がつきました。比叡山鳥類蕃殖地は延暦寺の霊域と重なり、地図で見ると大方は滋賀県側で尾根の陰に隠れて見えません。面積でいうと830万平米のうち160万平米が京都側で、その部分は黒谷・青龍寺のあたりですが、蛇ケ池から北に伸びる尾根に隠れてほとんど見えないのです。漱石の『虞美人草』に書かれているとおり、京都から登る比叡山は「萱ばかりなる山」だったのです。
さて、私の関心事は、天然記念物に指定された頃はなぜ沢山の鳥が棲み、繁殖していたのだろうか。鳥が沢山棲んでいた比叡山に、今はなぜ鳥がいないのだろうか。天然記念物指定には、川村多實二先生はどのようにかかわっておられたのだろうか、の3点です。
この疑問は、先日京都府と滋賀県の文化財保護課を訪ねて資料を入手し、すべてに納得がいきました。やはり川村多實二先生が直々に奔走されて天然記念物指定が実現したのです。滋賀県の文化財保護課には、川村先生直筆の「理由書」が遺されておりました。天然記念物指定の必要性と緊急性が簡略に書かれております。京都府では、昭和八年に編纂された「京都府史蹟名勝・天然記念物調査報告書・第十四冊」のコピーをいただきました。
「比叡山鳥類蕃殖地」という表題で、地図等の図版5枚がついており、
1.比叡山鳥界の特色
2.天然記念物指定に到るまでの経過
3.比叡山に多き鳥の種類
4.叡山鳥類保護に関する注意
の4項目、16ページにわたる長文の解説がなされておりました。
「比叡山鳥界の特色」の中で、比叡山は標高500mぐらいを境にして温帯林と暖帯林の植生の特徴が見られ、より高地性の野鳥が棲息しているとし、植生ならびに棲息する野鳥の種類が多い理由を詳しくのべておられます。また、棲息する野鳥の密度が著しく高いことについては、原文をそのまま収録します。
『往昔延暦寺寺域広大にして現在面積に数倍し、北方横川は勿論、東西南の三方にも鬱蒼たる森林遠く打ち続きし頃、或いは山の尾根或いは渓の岩陰に、思い思いに巣を構えて棲みたりし多くの鳥類は、其の後四周よりの森林伐採に圧迫せられ、次第に中央に集まり、遂に現在の領域に追い詰められたるものなり。』
富士山麓や木曽山中、日光などの今でいう探鳥地では、数里もの距離を上下してようやく見られるだけの鳥種を『無動寺より根本中堂、浄土院、釈迦堂を経て黒谷青龍寺に至るまで僅々数キロに足らざる、歩行容易なる参詣順路を辿りつつ、充分に見聞観察し得る便宜あるなり。』と、研究者にとっても得難い探鳥地であることを強調しておられます。
それだけ沢山棲息していた野鳥は、何故見られなくなったのでしょうか。川村先生はこのことがあるのをおそれて、その保全について『叡山鳥類保護に関する注意』(イ)森林の保存、(ロ)害敵の駆除制圧、(ハ)人間の悪事を防止する手段、の3項目にわたって書いておられますが、この他に日本の森の緑の回復をあげなければならないと、私は思います。
日本の森の回復力はすごいと思います。戦後十数年にわたる乱伐の繰り返しで極度に疲弊し荒廃していた日本の森林は、この半世紀の間にそうした名残をまったく止めないほどに緑一色に回復しました。日本の地形と気候は、空き地があって3年も放置すれば雑草、かん木類が侵入、繁茂してやがては森に還る「日本の自然」なのです。
京都の周りの山を見渡すと、冬でも黒々とした東山の照葉樹林に気がつきます。夏になると東山は見渡す限り緑に覆われ、昭和の初めの頃まで禿山や柴草山だったなどとは想像も出来ません。緑が回復し、植生が豊かになるとその森に生息する生き物が多くなり、野鳥たちにも棲息しやすい環境となるのです。
その証拠に、最近身近な森でキビタキやクロツグミを聞くことが多くなりました。桂坂野鳥園では、森の回復と関連させて三光鳥誌49号(京都野鳥の会の会誌)で野鳥の増加を統計でもって報告しました。川村先生によれば、周りの森の乱伐により追い詰められて野鳥が比叡山に集中したとありましたが、京都周辺の森林の緑が回復して、その逆の現象として野鳥の分散をもたらしたということも考えなければならないと思います。
森が豊かになるといろいろな生き物がそこに棲めるようになり、野鳥も帰ってくるのです。